AS7341による光のスペクトル(波長分布)測定と光害分析
AS7341という光のスペクトル(波長分布)を計測できるお安いセンサーがあることに最近気が付いた。
これは光の強さを波長の範囲(バンド)ごとに分けて測定できるセンサーである。データシートの下記の図がわかりやすく、可視光域をカバーする8チャネル(F1~F8)と、クリアフィルター・近赤外線フィルター・フリッカー検出機能*1のついた3チャネルの合計11チャネルのセンサーを備えている。
開発用のブレイクアウトボードはAdafruitのこれ↓が約$16とお手頃で、STEMMA QTコネクタがついていて使いやすそうだ。*2
天体写真の文脈で前々から環境光や光害のスペクトルを測定してみたいと思っており、ひとつポチっていろいろ測ってみたのでここではその結果を紹介しよう。
より突っ込んだ背景
天体観測で用いるツールに、水銀灯やナトリウム灯の波長を標的にしてカットする光害カットフィルターというものがある。昔から有名なものにIDAS LPS-P2がある。
下図はLPS-P2の透過特性である。
光害カットフィルターの是非あるいは功罪は天体写真界隈においてクラシックな論争である。近年はLED照明が増えてきており、水銀灯やナトリウム灯のような特定の波長が光害の主成分ではなくなってきている(下図参照)ため、光害カットフィルターの効果が失われつつあるのは否定できない。
ならば光害カットフィルターは窓から投げ捨てるべきかというと、そうも簡単には言えない。筆者が住んでいるエリアは Bortle 8 越えの光害地だが、ダウンタウンや大規模施設周辺は白くて明るいLED照明が多いものの、住宅地は昔ながらの橙色っぽい照明が多い印象で、ここから撮る際には光害カットフィルターはまだ有効と感じられる。例えば撮影対象をフレームに入れる際にはカメラのゲインを上げて短い(数秒の)露出時間で無理矢理見えるようにするのだが、ここでフィルターの有無で対象の見え加減が大きく異なる。フィルターなしでは対象が見えず困ることが実際にあるのだ。
そんなわけで、光害のスペクトルが実際にどうなっているのか(光害カットフィルターが標的とする波長が現実どの程度含まれているのか)測ってみたいと前々から思っていた。そこにAS7341の登場である。どれだけ有用なデータが取れるかはわからないが、試してみる価値はありそうだ。
測定器の作り方
まずセンサーを板に固定し、センサーの前には黒い筒を付けられるようにする。
まともな測定器を作るのであれば、対象から放射される光をレンズでセンサー部分に集め、さらにデータシートの指示に従ってディフューザーを付けて…といった光学系を作るのが普通だろう。一方、黒い筒を付けるだけだと、筒の径と長さから決まる視野角全体からセンサーに届く光をまるっと測ることになる。これでも環境光・面光源・強い点光源などを測ることは十分可能である。
次に板の裏にお馴染みM5StickC Plusを貼り付けてセンサーを接続し、測定ソフトウェアを書けば測定器のできあがりである。下の写真のように8バンドの波長分布(相対的な光強度)を表示したり、計測データをPCに転送したりできるものである。
ソフトウェアの作りについては Qiita に別記事としたのでそちらを参照されたい。
それでは、早速測定例をお見せすることにしよう。
白色系の測定
同じ白系の色でも、自然の光と人工の光とではスペクトルが異なるというのは教科書の教えるところである。この違いを実際に観測できるか試してみた。
太陽光の白
下図は晴天南中時(高度76°)を狙って測定した直射日光*3のスペクトルである。光が強すぎてセンサーが飽和してしまう心配があったが、ゲインを最低まで下げれば耐えられるようだ。
この測定結果は、検索すればごろごろ見つかる太陽光スペクトルの例(例えば下図)と傾向はよく合っていると言える。
ちなみに直射日光を避けて空の青い部分にセンサーを向けるとこうなる。
下図のように、大気で散乱されやすい短波長の光*4が多く飛び込んでくるので理論通りである。
LED電球の白
次は自宅で使っているLED電球である。左が(日本に多い)色温度の高い白色、右が(アメリカに多い)暖色系のもの。
先に提示したLED照明のスペクトルとよく合っている。*5
F2(青)のバンドが持ち上がっているのが、目が疲れるとか眠れなくなると言われているいわゆる「ブルーライト」である。実際に測って可視化すると「なるほど、こういうことか」とが実感が持てる。*6
液晶ディスプレイの白
液晶ディスプレイの白(#FFFFFF)を表示させて測り、次いで赤(#FF0000)、緑(#00FF00)、青(#0000FF)を測ってみた。白が3色合成で作られていることが一目瞭然である。
以上、異なる種類の白色光について、$16のセンサーにしてはきれいに理論通りのスペクトルを見ることができた。
光害の測定
白色光で測定器のテストもできたところで、いよいよ「光害には光害カットフィルターが効く光がどれほど含まれているのか?」に答える測定にチャレンジしてみる。
晴れた夜空の測定
まずは天体写真が撮れるような晴れた夜に素直にセンサーを夜空に向けてみた。しかしこのセンサーで検出できるほどの光量はなく、計測値が常時ゼロになってしまった。広範囲から光をかき集めようと、筒の長さを短くして視野角を広げても効果なし。ダメだこりゃ。
周辺の屋外灯の測定
代わりに周辺でギラギラ光っているうっとおしい屋外灯や街灯の光を直接計測してみる。これが光害の主成分とは限らないが、少なくとも迷光の原因にはなっているだろうし、光害の要因のひとつとして見ておいて損はなさそうだ。
周辺には暖色系の屋外灯が最も多く、そのひとつに計測器を向けてみたところ、チャネルF6(黄)に強いピークが見られた。
この屋外灯はおそらくこの手の普通の暖色系CFL(電球型蛍光灯)で、資料によれば下図のようなスペクトルのはずだが、測定結果がこれを正確に反映しているかは不明である。幅の狭いスパイクは積分するとどのくらいの強さになるのか目分量ではよくわからないからだ。感覚的にはF6がこれほど突出しているのは不思議ではある。最も高いピーク(参考資料によれば611.6nm)はF6とF7の境目付近だが、どちらかというとF7の方が反応しそうな気がするし、二番目に高いピーク(同546.5nm)に対するF5の反応も小さすぎる気がする。
次の動画は測定器を横に向けてぐるっと回ってみたところ。理由はともあれ、F6が強く反応し、次いでF5とF7が反応するという傾向自体は確かなようだ。
これ以上精密なスペクトル分析は諦めるとして、この光に光害カットフィルターが効くのか?という疑問には答えたい。ならば実際にフィルターLPS-P2を付けて同じ光を測定すればよい、というわけで下記がその結果である。
これだとフィルターなしに比べてどれだけカットできたかわかりにくいので、スプレッドシートにデータを入力しチャートにして比較してみる。
F6バンドが約半分残っているのが少々残念であるが、その他のバンドはしっかりカットされているようだ。F6の効きが悪いのは、CFLの580~630nmに連続スペクトルがある、611.6nmのピークがカットできていない、といった理由がありそうだ。
下図にLPS-P2の透過特性を再掲し、F1~F8の範囲をオーバーラップさせてみた。CFLのスペクトル、フィルター有無時の計測結果を突き合わせて見てみて欲しい。ただし、センサーのバンドの誤差(許容誤差±10nmらしい)や、フィルターに光が斜めに入射することによる特性のズレがあるので、あまり厳密に見ても意味がないことに注意。
曇った夜空の測定
先ほど晴れた夜空の測定には失敗したと述べたが、曇っていれば夜でも雲が街の光を反射して十分な光が得られることに途中で気付いた。これは天体写真の背景の色とは同じではないが*7、街の光のスペクトルを映す鏡にある程度なっていると考えられる。そこで測定を試みた結果が下図である。
先に計測した屋外灯の特徴と白色LEDの特徴を合わせたようなスペクトルになっているようだ。いわゆるブルーライトのバンドが持ち上がっており、LED照明の影響が確かに存在することがわかる。
次にこれに光害フィルターがどう効くのか、屋外灯と同じようにLPS-P2を付けて測定し、フィルターなしの場合と比較してみた。まずこちらのチャートはセンサー値をそのまま縦軸に取ったもの。
これを遠目に見れば、F5やF6といった光害成分の多いバンドを大きく削ってフラット化する、という意味では仕事はちゃんとしていると言える。ブルーライトがダダ洩れでF2が突出しているというわけでもない。
次のチャートはフィルタなしの場合を1として正規化し、バンドごとのフィルタ透過率を表したもの。黄色いバーはLPS-P2に太陽光(≒フルスペクトルの白色光)を当てた場合の透過率という参考値で*8、赤いバーが黄色いバーより低いほど光害成分が選択的にブロックされている=効果が高いと言える。
全体的に赤いバーが黄色いバーより低い、ということは今でも狙った波長に光害成分が相当量存在し、フィルターが無力化されたわけではないと言える。暖色系白色LEDの影響が大きいはずのF4~F8(F7を除く)で透過率を10%台に抑えられていること、ブルーライトが主成分と考えられるF2がある程度削れていること、の2点はいい意味で誤算であった。F7は他よりも少々効きが悪いが、CFLとLEDの連続スペクトルが重なって裏をかかれた格好かもしれない。
以上より、「LED照明が増えているのは事実だと思うが、少なくともこの場所では、昔ながらの光害カットフィルターが無力化されている気はあまりしない」という筆者の感覚にはある程度根拠がある、と思う次第である。*9
新しい光害カットフィルターLPS-D3
ここまでは「LPS-P2のような昔ながらの光害カットフィルターは光害の質が変わった今でも有効か」という観点で議論してきた。一方、光害カットフィルターも進化しており、LED照明に対応したと謳うIDAS LPS-D3のような製品も登場している。
筆者はこのLPS-D3も持っており、LPS-P2に比べて欲しい光が大きく削られる気がしてほとんど使っていないのだが、せっかくなので曇った夜空に対する効果をLPS-P2と同様に測ってみる。LPS-D3のメリット・デメリットがよりよくわかるかもしれない。
緑のバーが新たに測定したLPS-D3の値である。F4とF7を例外として、曇り空に映る街の灯をかなりしっかりブロックしているのがわかる。F2~F3については、太陽光はある程度通しつつ夜空の光を完全ブロックしているのは驚きで、これはメーカーのブルーライト対策が功を奏していると言えるだろう。F6が完全ブロックされているのも、近所の屋外灯がF6主体であることを考えると利点と言えるが、そもそもF6バンドは太陽光でさえ12%しか通らない(LPS-P2は25%通る)ので、「色が失われる」と感じるのはこのへんが原因かもしれない。
F7はLPS-P2と同様に効きが悪く、ここは対処のしようがないということか。F4とF8はLPS-P2に敗北しており、特にF4だけ見るとLPS-P2より目に見えて悪化している。
以上のことから、筆者の環境でLPS-P2からLPS-D3に移行すると、
- 全体的な光害カット効果は若干よくなっている(特にブルーライトや近所の屋外灯の影響がほぼ見られなくなる)ものの、LPS-P2もそこそこ効いているので驚くほどの差ではない。
- 一方、F6周辺(黄)の色が失われると感じたり、今まで波長に対してフラットに出ていた光害の影響がF4周辺(緑)に偏って現れるようになるなど、違和感を感じる可能性がある。
…ということになるんではないか、と説明がつく。なるほど、LPS-P2に比べてLPS-D3が特に悪いわけではなさそうだし、嫌わずにもう少し使ってみてもいいかもしれない。
*1:蛍光灯やLED照明が120Hzで点滅していることなどがわかる。
*2:本記事執筆時点でAdafruitサイトでは品切れのようだが、MouserやDigiKeyには在庫がある。
*3:黒い筒方式なので安全にできる。レンズを使った光学系だとそうはいかない。
*4:レイリー散乱。このあたりの解説を参照: 第21回 青空・夕焼け・白い雲|CCS:シーシーエス株式会社
*5:測定結果のF2(青)の高さがチャートより低いのは、尖ったスパイクが積分されて潰れるからだと推測。
*6:とは言え、筆者はこの特定の波長が体に悪影響を与えるという言説には懐疑的な方である。
*7:晴れていたらおそらく直射日光対青空のように短波長成分が強くなると想像できる。
*8:昼間のうちに測定しておいたもの。メーカー提示の仕様通りだとF3バンドは95%ほど通るはずなのに、計測値は80%程度と低いのは気になる。原因はよくわからないが、後述のLPS-D3でも同様の現象が見られ、一定して現れているならまあよしと考えることにした。
*9:まぁ「Background Extraction技術と長い露出時間さえかければ光害は克服できる、とにかくシグナルを削るのはナンセンス」という宗派のガチにとってはそもそも関係ないけどね。