hogehoge, world.

米国カリフォルニアのソフトウェアエンジニアがIT・自転車・音楽・天体写真・語学などについて書く予定。

日本人が「在宅勤務は生産性ダウン」と感じる理由

こんな記事が出てきたが、まあそりゃそうだろう。

www.itmedia.co.jp

日本はハイコンテキスト文化で、仕事の設計も(デフォルトでは)それ前提になっているのだから。ハイコンテキスト・ローコンテキストの違いは下の記事でよく説明されている。

E.T.Hall – High Context Communication vs. Low Context Communication | Notes on Intercultural Communication

https://laofutze.files.wordpress.com/2009/07/high-context-low-context-schema.gif?w=641&h=463

乱暴に言えば、ハイコンテキストは言外の・暗黙の情報に多く頼る、ローコンテキストは明文化された・表に現れた情報にのみ頼る、ということである。これはどちらがいい・悪いというものではない。両方の世界で生きてみればそれぞれいい面と難しい面があり、難しい面を克服するためにそれぞれどんな努力が払われているか(もしくは払われていないのか)もわかる。

日本人のハイコンテキストっぷりは「ツーカー」「阿吽の呼吸」「一を聞いて十を知る」といった言葉に代表され、これはローコンテキストの世界から見たら呪術のようなトンでもなものであるが、本人たちはその力に普段無意識に依存している。そして、それは決して魔法ではなく、言外の情報交換があって初めて成立する。在宅勤務になるとその情報が大きく制限され、つまり「今までテレパシーに頼って生きていたテレパスたちが、急にその能力を封じられた」のと同じで、今まで簡単にできていたことができなくなったと感じるのは驚くに当たらない。

普段海外パートナーや異なる文化圏と仕事をしているような組織であれば、多かれ少なかれローコンテキスト文化に合わせた仕事の設計になっているだろうから、このテレパシー喪失問題はあまり問題にならない、もしくは最初はびっくりするが割と簡単に適応できると思われる。むしろ、ローコンテキストに振り切ることで効率が上がる部分もあるので(例えば外の世界とプロセスを合わせやすくなるとか、システム化や自動化がしやすくなるとか)、そのアドバンテージを取りに行くような動きになるだろう。

一方テレパシーのない世界に触れたことのない人たちが急にその能力を失う、というのはちょっと気の毒である。そもそも今まで頼っていたテレパシーが封じられたという構造にすら気付かない可能性もあり、であればこんな↓状況に陥る図が目に浮かぶ。

  • どうしたらいいのかわからず右往左往する
  • 「俺達の魂は通じ合えるはずだ、気合いが足りないのだ、オンライン飲み会が足りないのだ」と根性論で解決しようとする
  • そもそも仕事の設計がlow context readyになってないことが問題なのに、テクノロジーへの投資やトレーニングの不足だと勘違いしてしまう(テクノロジーでテレパシーを完全に再現できればよいのだが、それは不可能もしくは莫大な投資が必要であろう)

というわけで、在宅勤務に難しさを感じており、またハイコンテキスト・ローコンテキストという概念に馴染みがなかった人は、「自分達はテレパシー能力を失ったのだ。これからは明文化された情報にしか頼れない、オールドタイプの人間として生きていくしかない。だとしたら仕事の設計はどうあらねばならないか?何を諦める必要があるか?」という目で見てみることをお勧めしたい。もし外国企業や外国人と一緒に仕事をして噛み合わせるのに苦労した経験があるなら、それを思い出して日本人同士でも同じことをやる必要があると覚悟を決めるべきだし、そのような経験のある人が近くに居るならその人の話はよく聞いた方がよい。

なお冒頭で参照した記事には

レノボ・ジャパンは「働き方のニューノーマル確立に向け、企業によるテクノロジーへの投資が課題」とした上で、「在宅勤務を進めるにはセキュリティ確保と、新しいテクノロジーを使いこなすためのトレーニングへの投資が企業に求められる」とコメントしている

とあるが、ちょっと(・∀・)ニヤニヤしちゃうよね。ほんとにそこが課題ならいいんだけど、実はそうでない人たちもたくさんいて(特に先述のリストの3番目のカテゴリー)、そこはカモられちゃうんかなぁとか。