hogehoge, world.

米国カリフォルニアのソフトウェアエンジニアがIT・自転車・音楽・天体写真・語学などについて書く予定。

「激怒した開発者によるcolors.js/faker.jsの意図的な破壊」に関する所感

こんな↓ニュースを目にして何が起こっているのかをざっとさらってみたのだが、うーむ、同情の余地はあれど、これに thumbs up や無邪気な擁護が付くのはちょっと理解できない。

gigazine.net

別にMarak氏やその擁護者を叩きたいわけでもなく(私が何か言うまでもなく彼の行為は普通に裁かれるだろう)、ただなんだか違和感があったので、自分の得た情報と理解の整理のためにここに書いてみる。

本件の構造を別のたとえに置き換えてみると、こういうこと↓に見える。

  1. 「ご自由にお取りください(=MITライセンス)」と自分で作った野菜を道端に置いた
  2. その野菜が評判になり、それを使ってぼろ儲けするレストランも出てきた
  3. これらのレストランが「野菜のかたちが悪い」「傷があった」、その挙句「なんとかしてくれ」と言ってくるようになった
  4. 「そんなの無報酬で対応できるかよ。自分でなんとかするか、相応の報酬をくれ」と表明した
  5. (その後何があったかわからないが)ついに激怒して、野菜に毒を入れた

(1)~(4)はまぁそういうこともあるだろうという事象だが、そこから(5)に行ってしまうというのはテロと同じ行動原理だと私は考える。レストランがいかに厚かましかったとしても、あるいはその毒が臭いをちゃんとチェックすれば(=テストをちゃんと書いていれば)わかるものであったり、食べても簡単に死にはしないものだったとしても、「ちょっとした警告です、おふざけです」で済ませる気にも「いいぞいいぞ」と応援する気にもならない。

npmリポジトリがこのバージョンの公開を停止したが、それは当然の処置であろう。GitHubがMarak氏のアカウントを凍結したのも、なんでそんなことをするんだという声も見かけたが、「作者の立場を利用してマルウェアを仕込んだハッキング/サボタージュ/サイバーテロ行為」とban認定されても何の不思議もない。「自分のコードを好きにして何が悪い」的な擁護は成り立たないだろう。

経緯の面で私が理解に苦しむのは、Marak氏は(4)のあたりでスポンサー集めに取り組む*1など理性的な対応をしていたのに、結局(5)のような無差別的で問題解決にならない破壊的行為に至ったことである。タダ乗りする連中の要求に付き合いたくないのであれば単に無視する権利はあったわけだし、タダ乗りを手っ取り早く合法的に懲らしめたいならライセンスをMITから「商用の場合は有償」という文言に変える手もあっただろう。もしくはサポートに対して本気でお金が欲しいのであれば、企業との間で契約を交わすなど最低限のオペレーションは必要で、金をよこせとissueで愚痴っても何も解決しない*2。いろいろ事情はあったのかもしれないが、ぱっと見る限り「(価値を提供して相応の対価を得るという広い意味での)ビジネスパーソンとしてやるべきことをやらず、短気に任せてテロに手を染めた」という印象なので、これを英雄的に持ち上げるのは理解できない。(火災で大変な目にあったという話もあるが、これはもちろん擁護にはならない。)

つまり、私にはこれは、背景に同情の余地はあるものの「ついカッとしてやった」という通り魔やテロの一種にしか見えないのである。これに「いいぞもっとやれ」「君は英雄だ」のような無邪気な擁護が意外に多くて違和感を感じたので、当たり前のことだと思いつつ書いてみた*3。なお、「同情の余地」の部分というか、「OSSとそれを利用する企業が抱える歪」のような問題は確かに存在するのだが、本blogでそこに踏み込むのは(そういう議論を公にしたくて書いているのではないので)やめておく。

*1:実際幾つかのの会社から支援を取り付けていたように見える。

*2:記事はMarak氏が(彼の気に入らない利用者に対して)「警告」したかのようになっているが、私の見る限り、「自分は彼らのためにタダで働くことはしない」とお気持ち表明しただけである。警告というのは「こういう使い方はライセンス規約にこのように違反しているので、そういう使い方をしている連中は罰を食らうであろう」のように論拠を持って相手の是正を促すものだと私は考える。そのような手を講じていなかったのなら、私の目には無警告の無差別テロと同種であり、被害を受けた側を「警告を守らなかったからだ、ざまあみろ」などと批判する気は一ミリも起きない。

*3:こういう当たり前のことを発信しないと「だからOSSは未成熟だ、作ってるやつも支援してる奴もガキんちょだ」などとあらぬことを言われてしまうのではないか、という危惧も若干ある。