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米国カリフォルニアのソフトウェアエンジニアがIT・自転車・音楽・天体写真・語学などについて書く予定。

へっぽこ天体写真のススメ

筆者はへっぽこ天体写真を撮る。ここで「へっぽこ」というのは、ずぼら、あるいはインドア的な性癖ゆえ、天体写真が通常目指すところからズレた(と見做されそうな)方向に向かって努力する姿勢や価値観を指す。例えば下記のような価値観に共感できるなら、あなたにもへっぽこの素質があるかもしれない。

  • 暗い空を求めて遠出するのが嫌い。「どんな高価な機材よりも暗い空」なんてことはわかっているけど、めんどくさいじゃん。代わりに光害カットフィルターやフラット補正に金と労力をつぎ込むよ。
  • 重い機材を持ち運ぶのが嫌い。「マウントがしっかりしてないとそもそもいい像は撮れない」なんてことはわかっているけど、重くて面倒だからと撮らなくなったら本末転倒じゃん。星像が安定しないなら露出時間を半分にして倍の枚数撮ればいいじゃない。細かいブレには目をつぶって、全部コンポジットに放り込んでσクリッピングすればそこそこ見れるよ。
  • 後処理に時間をかける。そもそも質のいいフレームが撮れれば後処理で苦労しなくて済むのはわかっているけど、外は寒いしコントロールできない要素も多いわけで、暖かい室内で現代の高度なデジタル技術と戯れるのに時間を割いてもいいじゃない。いいCPUと大きなメモリを買って、いい画像処理ソフトウェアを入手して、たくさん勉強&実験して、ベストプラクティスを探し出すよ。
  • 美しさよりも「技術の力で見えないものが見える」こと自体に楽しさや喜びを見出す。背景がザラザラとか、カラーバランスが悪いとか、そういうのは気にしないわけではないが二の次だよ。別にコンテストに出すわけじゃないしさ。

特に最後の項目はへっぽこの本質かもしれない。要は「この街中から○○星雲が見えた!何万光年の距離からやってきてレンズに飛び込んで来た光子すげぇ!IDASのフィルタすげぇ!ソニーイメージセンサーすげぇ!デジタル画像処理すげぇ!」というところを楽しむのである。作品として写真を撮るというより、マインドセットとしては電子観望に近い。

もちろんスタンダードな天体写真の価値観を否定したいわけではなく、たまに暗い空で撮るのは楽しいし、できれば美しく撮るに越したことはない(筆者も自分のベストを選んだら暗い空で撮ったものばかりになる)。ただ「このマウントはやわですね」とか「星の色がつぶれてますね」とか無邪気に行ってくる輩に対しては、「天体写真を趣味とする人々の中にはこのようなへっぽこが存在するんですよ」と教えてあげたくなる。ごちゃごちゃ言わず、こういうの↓が撮れたら単純に楽しいでしょ?

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M42オリオン大星雲

なお、へっぽこは「要求水準が低い(=いいかげん)」とか「努力や出費を惜しむ(=怠ける)」こととは異なる。むしろ価値観や欲求が独特であり、それを満たすために独自の探求やDIYを余儀なくされるため、結局人並以上の労力やお金がかかることもままある。投資や手段がその時々の自分の目的や身の丈に合っているかどうかは気にするが、トータルで割安かどうかはあまり意に介さない、というのもへっぽこの性質の一つと言えるだろう。

このようなスタンスで天体写真を趣味としている人間は世の中で筆者だけだろうか?もし他にいるとしたらそのような人々を元気づけることはできないだろうか?そういった考えからへっぽこ天体写真記事を書いてみる次第である。「私もへっぽこかもしれない」「そういうへっぽこなら私も興味がある」という方々のお役に立てれば幸いである。

へっぽこ天体写真の作例

上の1枚と以下に示す2枚、自宅での撮影・軽い使用機材・時間をかけた後処理など、へっぽこのエッセンスが濃いものを選んでみた。(暗い空で撮ったものの方が当然いいので、これらが必ずしも自分的ベストというわけではない。)

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M8干潟星雲 / M20三裂星雲

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NGC2237 バラ星雲

これを見て、筆者はよほど空の暗いところに住んでいるのではないかと疑う向きもあるかもしれないが、そんなことはなく、光害マップで見る限り横浜の郊外都市あたりに相当すると思われる(付録参照)。そんなところで上のような像を得るための努力を突き詰めるへっぽこというのはどういうものなのか?という興味を持って読み進めてもらえればと思う。

へっぽこ撮影機材

上の作例はこれ↓とほぼ同等の機材で撮影している。この写真では普段は使わないガイドスコープが乗っているので、それは差し引いて欲しい。

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典型的なへっぽこ撮影機材(ガイドスコープ除く)

撮影対象によって使用する機材や技術は変わるのだが、これは中くらいから大き目の星雲・星団を雑に狙って「見えないものを見えるようにする」を楽しむための、最もへっぽこ的なセットアップである。以下この機材を紹介することで、へっぽこのノリを伝えてみたいと思う。なお、これらの機材はおよそ10年前から徐々に買い揃えたものなので、現時点でのおすすめ機材リストとは必ずしもならないことはご容赦いただきたい。

マウント

Orion SkyView Pro EQ GoTo という製品だが、日本では Sky-Watcher EQ5 Pro Go-To と言った方が通りがいいだろう。重さ10kg (軽い)、積載重量9.1kg (まあまあ)、価格10万円を切る(安い)モータードライブ・自動導入赤道儀である。世の評価は「天体写真には力不足」というのが一般的なようで、撮影中に it looks like beginners' とか言ってきたウザいオヤジもいたが、へっぽこ的には重さ・能力・価格のバランス的にむしろこれ一択じゃないかと思う。

鏡筒(OTA/Optical Tube Assembly)

上で使っている鏡筒は Orion ED80 で、日本だと ビクセン ED80Sf 相当のようだ。口径80mm、焦点距離600mm(f/7.5)の屈折望遠鏡で、普段はこれに0.8倍レデューサー兼フラットナーを付けて焦点距離480mm(f/6)で使っている。これも世の評価は「眼視観測向け」で、天体写真用にはもう一段グレードの高いものを勧められることが多いが、取り回しやすく値段も手ごろ(筆者購入時$500程度)なへっぽこ向き鏡筒である。

Orion ED80以外の鏡筒は別の機会に紹介しよう。

カメラ

世のアマチュア天体写真の標準カメラはキヤノンニコンの一眼レフのようだが、あれは重すぎる。へっぽこ的チョイスは世界最軽量ミラーレス、ソニーα NEXである(今の後継機はα5000やα6000だろうか)。NEX-5はバッテリー込みで300gを切るという素晴らしい軽さである。超高感度といった触れ込みはないが、上の作例を見てもらえればしっかり使い物になることがわかると思う。*1

筆者は最初普段使いのNEX-6で天体写真を撮り始め、後に赤い星雲を撮るために中古NEX-5Rを買ってIRフィルタ除去改造を施し*2、それをメインで使っている。

NEXのセンサーサイズはAPS-Cであるが、へっぽこ天体写真にはそれくらいがちょうどよい。フルサイズだと視野周辺の歪み・収差・減光などの扱いが難しくなるし、補正レンズ等の光学製品にも「APS-Cまでしかサポートしません」というものがよくあるのだ。例えば先の作例が焦点距離480mm x APS-Cの視野ほぼ全体なのだが、これでちょうどいいと思うし、無理して広げる必要性は感じない。まぁ議論はいろいろあるにせよ、望遠鏡を使った拡大撮影においては「センサーサイズに投資するなら口径に投資した方がいいんじゃね?」と筆者は思う。*3

NEXで天体写真を撮る際の最大の問題は、赤外線リモコンを何らかDIYする必要があるということだ。NEXの露出時間は最大30秒で、インターバルタイマーの接続オプションもないので、「1分露出で10枚」のような撮り方は普通にはできない。そこでNEX本体をバルブに設定し、赤外線リモコンを自動制御してシャッターを開閉する必要がある。筆者は最初Androidスマフォの赤外線リモコンアプリを使っていたが、Androidのバージョンアップとともに動かなくなったので、今はM5 Atomインターバルタイマー付き赤外線リモコンを自作して使っている。

まぁ筆者のチョイスはさておき、へっぽこ天体写真を始めるには特定のカメラは必ずしも必要なく、ミラーレス持ってるならとりあえずそれを使ってみると案外イケて楽しくなっちゃうかもしれないよ、ということは言っておきたい。

後処理用ソフトウェア

筆者はデジタル天体写真撮影は光学系・イメージセンサー・デジタルデータ処理系の3部分に分けられ、それぞれが重要な柱を成していると考えている。へっぽこは後処理を柱の一本として積極的に用いることを厭わないのだが、これは伝統的な天体写真の価値観(自然のデータをなるべくそのまま見せるのが正義)から見ると「いじりすぎ」「労力をかけるところが間違っている」と見えるかもしれない。*4

へっぽこが特に依存する後処理技術は次のようなところだ。

  • コンポジット: これとイメージセンサーの高感度化・低ノイズ化がなければへっぽこは存在し得なかったと言っても過言ではない。冒頭で触れた通り、へっぽこは長時間の露出には耐えられないので、30分時間があったら5分を6枚ではなく1分を30枚撮って加算する。その方がフレームあたりの失敗確率は下がるし、ノイズは平均化されるし、少々の失敗フレームも捨てずに放り込んでσクリッピングでアウトライアーを除けば「食える限りの情報量は食う」ことができるからだ。ちなみに先の作例はISO1600で1分露出×18枚である。
  • レベル補正/トーンカーブ補正: 小さな明るさの差を強調する処理。へっぽこは光害地の淡いデータから「見えないものを見える」ようにしたいので、きつめに強調をかけたり、トーンカーブを細かくいじることが多い。これにより背景のムラやノイズも強調されてしまうので、悩ましく、正解のない、試行錯誤が必要なところである。
  • フラット補正/カブリ補正/周辺減光補正: へっぽこは背景が明るい環境で撮る、さらにきつめの強調処理をかけるので、背景のむらを抑えるこのプロセスは欠かせない。なかなか計算通りにはいかず大変である。
  • ノイズリダクション: きつい強調処理で目立ってしまう背景のノイズを抑える。いいノイズリダクションソフトウェアがあれば高くても買うぜ!

筆者はこれらの後処理の多くをアストロアーツのステライメージ(現時点の最新版はバージョン9)で行っている。

ノイズリダクションは専用ソフトウェアの Neat Image (同最新版はバージョン9)を使っている。ノイズの乗った背景の一部を囲むと、ノイズのパターンを認識して全体をきれいにしてくれる優れものである。もちろん完璧に消えるわけではないが、条件によっては魔法かと思うようないい仕事をするので、気になる人は是非一度試用をお勧めしたい。

その他重要アイテムその1: 光学フィルタ

フィルタは見えないものを見えるようにするための効果絶大アイテムである。値は張るが、へっぽこがそのスタンスを貫くにあたっての神器あるいは救世主と言える。筆者は次の2枚が普段使いである。

  • IDAS LPS-P2: ナトリウムランプ等の波長をブロックする光害フィルタ。最近は白色LED由来の光害が増えて効果が減ってきているそうだが、個人的にはまだまだ使えるという感触。最新はLPS-P3に置き換わったが試していない。自宅で撮るなら must-have。
  • IDAS HEUIB-II: Hα(波長656.3nm)の前後をカットすることで、Hαで光る赤い星雲を見えやすくする。IRフィルタ改造カメラが前提。個人的に must-have、銀河や星団を撮るときもつけっぱなしのことが多く、自宅で撮るときはLPS-P2と二枚重ねにする。

その他重要アイテムその2: バーティノフマスク

フォーカスを正確に合わせるための天才的発明。大きいものは Farpoint などから購入し、小さいものはこういうサイトで型紙を作って厚紙で自作したりする。

バーティノフマスク

まとめ

今回筆者の天体写真に対するスタンスと、そのスタンスを代表する撮影例と機材を紹介した。今後もこのスタンスに基づき、筆者の試行してきたことや結果得られたノウハウを書いていけたらと思う。世のどこかに似たような人がいて、勝手な探求を自由に進めていくための材料として役立ててもらえれば幸いである。

ちなみに、ここで述べたような純粋なへっぽこ機材でできることは概ねやり尽くしたと感じてきたこともあり、最近でかい・重い・撮影にPCが必要というへっぽこらしからぬ冷却CMOSカメラを入手してしまった。これでへっぽこ卒業かというと、基本的な価値観が変わらない以上そうではなく、「へっぽこのコンフォートゾーンから部分的に出ることを余儀なくされる」という感じになっている。これについても追々書いていきたい

付録: SFベイエリアと日本の首都圏の光害マップ比較

左側がSFベイエリア(所謂シリコンバレー)の光害マップで、筆者の家は白~ピンクのエリア(Bortle 8~)にある。右側の日本の首都圏のものと比較すると、概ね横浜の郊外都市に相当するくらいかと思う。少し頑張れば赤(Bortle 6)、すごく頑張れば黄(Bortle 4)のエリアに車で行くことも可能であるが、事前に場所の使用許可を取る必要があるなど、ほいほい行けるものではない。

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SFベイエリアと日本の首都圏の光害マップ比較

実際、先の作例のバラ星雲の生データなんてこのくらい wash out されている。これを枚数撮ってへっぽこの職人技であの像を掘り出すのだ。

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NGC2237 バラ星雲 生データ

 

*1:もちろん最高!言うことなし!というわけではない。短い露出で撮った淡い信号を引き延ばしていると、もっとノイズを気にせずいじれたらいいな~と思うことは多々ある。

*2:当時IDASの改造サービスに依頼したが今はやってないかもしれない。

*3:広角レンズで天の川を撮るような星景写真の世界だと話は変わってくるだろう。

*4:もちろん伝統的な天体写真にも驚くほど高度な後処理技術があるのは承知だが、やはりきれいなデータを整えて美しく見せるところに主眼があるように感じる。音楽制作で言うと、上手な生歌を美しく聴かせる技術があるとともに、近年は歌の音程修正のように素材の欠点を補って作品として成立させる技術が存在するのだが、「歌がうまいに越したことはないが、現代に生まれた以上、後者を臆さず積極的に用いてもいいじゃないか」というのがへっぽこの立ち位置に近い。